2016年11月16日

検閲反対派の主張

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 国家が干渉することに反対し、自由な表現をおこなう個人の権利を支持するリベラリズムの議論は、反検閲の問題に関しては明確な立脚点をもっている。リベラリズムの立場からの古典的な主張は、19世紀の哲学者J・S・ミルの、著名な『自由論』(1991、原著 1861)に示されている。これによると、社会が個人の自由を制限してよいのは、他者に危害を与えることを避ける場合のみであり、意見の表明や行為は、それが他者によって不快だと判断されただけでは違法とされえないのである。というのも、もし自由な言論や行為を他者が不快と思うだけで制限すれば、それは個人の自由についての堪え難い制約であるばかりか、人類の知識と進歩に対する障害ともなるからだ。今日、言論の自由への信仰は特に米国で強く続いている。それというのも米国には、人種的憎悪を誘発するような言動を禁じる英国の制定法のようなものがないからである。そうしたわけで米国の多くの人々は、自国のリベラル・フェミニストであるネイディーン・ストローセンが述べるように、現行の猥褻法と、フェミニストの要求するようなさらに厳しい制限の双方ともが、言論の自由を保障する憲法修正第1条の受容し難い違反である、とする説に賛成する(Strossen, 1996)。

 反検閲の立場をとる他の多くのフェミニストたちと同様、ストローセンは以下のように述べる。すなわち、性をあからさまに表現したものを自由に見聞きできるということは、女性に害を与えるどころか、情報や表現や選択の歓迎すべき源泉があるということを示しているのだ。さらにストローセンは、検閲の増加はどんな形であれ、1950年代のような性的無知と抑圧へと戻る兆候だとも言う。ストローセンによれば、女性たちが必要としているのは、検閲の厳格化より緩和であり、女性独自のエロチカを作り出す手段として開かれた議論を行うことであり、女性のセクシュアリティについて保持されている支配的なイメージを闘うことである。またストローゼンは、ポルノグラフィは男性の性的なニーズのためのはけ口を用意しているのであり、暴力的なものも、嗜好的な幻想が危険なく表現されえるような安全弁のかわりになっているのだとも言う。この視角からだと、ポルノグラフィは男性のセクシュアリティと性的虐待の危険から女性を積極的に保護するものとなる。


だが検閲に反対する人々がみな、ポルノグラフィは女性に利益がある、とするストローセンの考え方に賛成しているわけではない。たとえば英国のフェミニスト、リン・シーガルは、以下のように述べている。「ポルノグラフィはたいていの女性たちを精神的に苦しめるし、私はいつも苦痛を感じる。」そしてシーガルは、「ポルノグラフィが性差別的かつ人間性を損なうような女性のイメージをもてはやすのであれば、フェミニストはポルノグラフィを正当なる攻撃の標的にする」ことにも賛成している(Segal, 1987, pp. 108, 112)。しかしシーガルは、「ポルノグラフィが他の表象の形式、たとえばロマンティック小説のようなものより危険であるとは考えていない。「ポルノグラフィに見出されるのはまたしても、強い男、権力を持つ男、男根崇拝の男に対する、延々と続く崇め奉りなのだ」(Segal, 1987, pp. 113)。またシーガルは、性表現をさせなければ女性の利益になりうるとか、女性への抑圧はセクシュアリティに関することに還元されうるなどとは信じていない。このようにシーガルは、より開かれた、フェミニスト主導による性についての議論が必要である、とするストローセンと同じような主張をする一方で、ポルノグラフィとそれがもつ効果に関しての分析は、女性の経済的搾取および女性が被害を蒙りやすいという事実と切り離せない、とも主張する。


多くのフェミニストは、この検閲という問題には、これを支持する主な人々が示す確信よりも複雑なものがあると見ている。そしてフェミニストの中には、立場を決定できないでいたり、落ち着きの悪い妥協点にとらわれてしまっていると感じている人々もいる。このような迷っているフェミニストの多くはポルノグラフィを嫌悪しており、ポルノグラフィが女性に害を及ぼすとも思っている。しかし、ポルノグラフィは女性の抑圧の主たる原因であるというよりもむしろその徴しであると考えてもいる。またポルノグラフィの入手が制限されるとよいと思う一方で、男性の手中にある法システムをさらに強化してしまったり、広くエロティックなものや性教育にかかわるものまでをも検閲させたがっているような右翼の道徳主義者と手を結ぶことになったり、というような実践上の効果を懸念してもいる。また、ポルノグラフィと性暴力との結びつきはいまだ証明されていない、もしくは性暴力の程度が過大視されている、と思っているフェミニストも存在する。そう考える女性たちは、ポルノグラフィに反対する運動家たちをピューリタン的禁欲と見なし、運動家たちのことを、どんな形であっても性をあらわに表現することや性の快楽には反対し、人生の外側、具体的には性的関係以外のところに楽しみを見つけたがっている人々なのだ、と考える。



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ポルノグラフィ(1)

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 フェミニストはすべて、ポルノグラフィを検閲するのには賛成である、とフェミニスト以外の人々から勝手に考えられていることが多いようだが、実のところ、このポルノグラフィという問題に関しては、フェミニストというのはおそらくどんな人たちよりも、立場が強烈に、かつ根深いところで分裂してしまっている人々なのである。フェミニストたちの分裂は、ポルノグラフィと闘うさまざまな方法を支持する人々の間で戦略的に意見を統一しないことにはじまり、ポルノグラフィが女性の劣位の原因なのか、それともその具現であるのかという議論を経て、ポルノグラフィをすべての女性抑圧の根源と見る人々と、性的自由の一形態としてポルノグラフィを称賛する人々との間の明らかすぎる対立に至るまで、ありとあらゆるレベルで起こっている。こうしたフェミニズム内での分裂から、ポルノグラフィ賛成派と反対派、および検閲賛成派と賛成派という政治的立場の表明がなされるようになった。これらのことは、フェミニズムの目標を推し進めるのに法律は何ができるか、とか、自由と抑圧の意味、人間のセクシュアリティの性質、表現物と現実の状態との関係などについて、フェミニストたちの間にある根深い理論的不一致を反映する。フェミニストたちはまた、ポルノグラフィそのものの定義をめぐってもしょっちゅう争っているのである。


 1960年代を通じて、露骨な性表現物がますます多く出版されるようになった。そしてこのことは、自由放任と性的自由という新しい時代のあらわれの一つだとして、多くの人々による熱狂的に受け入れられていった。この問題についての公共の議論は、露骨な性表現は表現の自由の一形態であり、性の解放の源である、として擁護する人々と、反キリスト教的、家庭破壊的、不道徳である、として激しく非難する人々との間の議論が中心であった。この文脈の中では、ポルノグラフィを嫌悪したり恐れている女性たちがその気持ちを分節化しようとすれば、婚姻外のセックスに反対している英国のロングフォード卿やメアリ・ホワイトストーン、もしくは米国のモラル・マジョリティといった人々と同盟を組まなければ言葉を発することはできなかった。しかしこの時以来、フェミニズムによる分析は議論を変化させてゆき、ポルノグラフィが不道徳か否かではなく、女性に有害であるかどうかに焦点がますます絞られるようになっていく。
 
 性的なものを示唆するような、もしくは露骨に性を表現している商品(中略)の中で、たとえば女性向け高級雑誌や、とりわけ10代の少女向け雑誌におけるアドバイスや情報のページは、明らかに女性が自分のセクシュアリティをコントロールできるように性を描き出している。そして、女性がパートナーのニーズと同様に自分のニーズをも探っていくよう勇気づけている。しかし多くは、女性を受け身でいつでも利用できるような、かつ服従的なものとして扱い、強姦や他の暴力的な形態の性的虐待の描写を含んでいたりするものが中心的である。そして、それらは、娯楽を装って提示されるのである。(中略)英国で反ポルノグラフィの立場をとるキャサリン・イツィンは、1980年代中盤までに、米国のポルノ産業が年間80億ドルを売り上げ(これは音楽と映画産業を合わせたより多い)、200万部以上の「最上段の棚のみ」の雑誌が毎月英国で販売されていることを示す証拠を著作に引用している(Itzin, 1992)。


 米国では、憲法修正第1条により、言論の自由が保障されている。しかし法廷は自由な言論に猥褻物は含まれないとする判決を下しており、1980年代には、守旧的な家族主義やキリスト教の集団に影響されて、法律がほぼ厳格に適用されるようになった。また同時期にラディカル・フェミニズムによるポルノグラフィ分析の発展があり、ことにアンドレア・ドウォーキンとキャサリン_マッキノンの行なった分析は、ミネアポリス市とインディアナポリス市でそれぞれ1983年と1984年に「マッキノン=ドウォーキン条例案」の議会通過という結果をもたらした。この条例案は、広布のあかつきには、ポルノグラフィのために被害を蒙ったと思う女性ならだれでも、そのポルノグラフィの制作者、出版者、販売者に対して何らかの差し止めをおこなうことができるようにするというものだった。ミネアポリス市の方では市長の拒否権に遭い、インディアナポリス市の方は連邦裁判所で違憲とする裁決が下されたが、これら二つの条例案は、さまざまな地域のフェミニストたちから広くモデルと見なされつづけている。この条例案に基づいた法律が米国の多くの州で検討されている。もっとうまくいった例をあげるなら、カナダでは、この条例を支持するために用いられた議論が猥褻法の再解釈に役立ったということがある。

 英国では、露骨な性表現物の出版を規制する猥褻法は機能しておらず、強制力のないものである、と考えるのが一般的であるようだ。よりあけっぴろげで、あからさまな性行為の描写を求める風潮が続いているにもかかわらず、1980年代には、規制法がすこしずつ締めつけを強めたり、関税・間接税省と警察がいっそうの取締りを行なったりした。だがこれらの締めつけの標的は、ほとんどがレズビアンとゲイの出版物やその販売店であった。また、フェミニズムに影響を受けて法律でポルノグラフィを規制しようとする試みも数多く存在した。その中で最も有名なのが、1986年に労働党のクレア・ショートによって提出された「3ページ」法案である。この法案は、「裸体の、もしくは部分的に裸体の女性が、新聞の風俗記事のページに掲載される」ことを禁じ、違反した出版社に罰金を課そうとするものであった(こうした女性のヌード写真は、『サン』紙(英国のタブロイド版大衆紙)の3ページ目に毎日掲載されていた)。1988年、「反ポルノグラフィキャンペーン」(CAP)が公式に下院内に発足した。フェミニストの中でも、ドウォーキン=マッキノン条例案に影響された人々は、「ポルノグラフィと検閲に反対するキャンペーン」(CPC)を結成し、ポルノグラフィの悪影響から女性を保護するために法律を用いることは検閲にはあたらない、と主張している(Itzin, 1992)。

 これらの活動にもかかわらず、多くのフェミニストたちは、大西洋の西(米国)でも東(英国)でも、法制度による統制が増すことには強く反対しており、反ポルノグラフィ運動をおこなうフェミニストたちと右翼組織の間に結ばれたように見える政治的な協調には深い不信感を抱いている。こうしたわけで、フェミニストの中には、米国で「フェミニスト反検閲対策本部」(FACT)、米国で「検閲に反対するフェミニスト」(FAC)といった組織を通じて、法制度による統制に反対するキャンペーンをおこなっている人々もいる。


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セクシュアリティ、ポルノ論争

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 1982年にニューヨークのバーナード大学で「学者とフェミニスト––セクシュアリティの政治に向けて」という会議が開催されたが、この会議はポルノグラフィの問題で激しく衝突し、最後には崩壊してしまったと伝えられている。そもそもこの会議が開催されたのは、主催者の1人であるキャロル・ヴァンスが、1980年代(とくにアメリカの)中絶法改正や過度の「寛容さ」へのバックラッシュの高まりを感じているからだった。強力な新右翼の台頭とともに、1960年代以降のフェミニズムと急進思想は道徳的退廃に直接の責任があると見なされた。性の実践の「無法者(アウトロー)」たち、つまりゲイ、レズビアン、性的に活発な異性愛女性、10代の若者が新たに非難されたり、エイズはゲイたち(アメリカとヨーロッパでウィルス感染率の高かった最初のグループ)への道徳的応報だと決めつけられたのだ。そしてフェミニストによる大がかりな反ポルノグラフィ運動が、このバックラッシュに加勢することになった。これは多くのフェミニストにとって皮肉な事態だった。「反ポルノ派のフェミニストたちに言わせると、ポルノこそ女たちを抑圧する一番の動力、男たちを社会化する主要因、女性に対する暴力の主要な手先だった」(Vance ed. 1992: xix)。女性のセクシュアリティの探求は、そのためにいっそう困難になった。



 前述のバーナード会議では、ポルノをめぐる論争の際にもう1つ生じたことがあった。フェミニズムの政治的良心として脱性化されたレズビアン・イメージが拒絶され、セックス肯定で検閲反対のレズビアンたちは、性的アイデンティティの多様性のすべてを認めよと主張したのである。対立は必至であり、シーラ・ジェフリーなどのレズビアン・フェミニストは、特定のレズビアン・セクシュリティのモデルに固執した(セックス肯定派のレズビアンからは、これはしばしば「ヴァニラ」レズビアンと呼ばれた)。しかしそのほかのレズビアン・フェミニストは、もしセクシュアリティについて社会構築主義者の見方を採用するならば、レズビアンに真正なセックスがあるという主張はだとうだろうかと疑問を出した。

 ジェフリーズにとって、そうした意見は1994年のThe Lesbian Heresy『異端のレズビアン』の書名が示すように、「異端」にほかならない。同書のなかで、SMや挿入をともなう性行為がレズビアンのなかでますます幅をきかせるようになってきたと述べつつ、ジェフリーズは言う。「新しい世代のレズビアンたちは、ゲイ男性の文化に見られる価値観や実践を喜んで取り入れている。自分もゲイ男性だったらよかったのにと、すすんで認めるレズビアンもいる」(Jeffreys 1994: 143)。


 キャロル・ヴァンスは、「個人的なことは政治的である」とするフェミニストの概念に疑問を投げかけた。「これは、性生活は特別にすべて政治的という意味なのか。もしそうだとすれば、同じ政治を共有するフェミニストはまったく同一か、きわめて似通った性生活を期待され、政治目標と個人のふるまいを合致させるべきであるという論理になるのか」(Vance ed. 1992: 21)。ヴァンスは、セクシュアリティの構築を、家父長制の利益や抑圧とほとんど同一視してしまうのは危険ではないかと強調しようとする。その必要もないのに快楽を押し殺してしまい、ラディカル・フェミニストは潔癖で反快楽主義であるとのカリカチュアに根拠を与えかねない(1990年代には、それはすべてのでミニストへの一般的見解になってしまったが)。

 ジョー・ヴァン=エヴリは、これまでの異性愛の分析に「異性愛関係に含まれるのは性行為だけではないという事実にほとんど言及がなかった」(Van Every in Richardson ed. 1996: 40)ことが問題だったと述べる。キャロル・スマートは、その一例として、性教育では性行為の危険ばかりが強調され、性の快楽は教えられない傾向があると言う。「最近では、教師たちが性教育のなかで快楽と喜びについてオープンに語ったり、若い女性のマスターベーションは、ほかの人とセックスをする前に自分の身体を知る利点があると話し合うなど、考えられなくなった」(Smart in Richardson ed. 1996: 175)。異性交(ヘテロセックス)の定義は粗雑なままで、「制度化」ばかりが注目され、女たち個人が異性交についての制度的言説に規定されつつ、いかにそれらの言説と折衝し、抵抗し、挑戦しているかという説明はなされない。


 シリア・キジンガーとスー・ウィルキンソンは、異性愛についての論集(Kitzinger and Wilkinson eds 1993)で、これらの疑問のいくつかに答えようと試みた。レズビアン・フェミニストとして、ふだん同性愛が周縁で異性愛が中心に配置されている役割をずらし、異性愛の女たちに向かって、セクシュアリティはあなたたちにとって何を意味するのかと問いかけたのである。そこで指摘されたのは、レズビアニズムは女たちにとって政治的アイデンティティになりうるが、異性愛はそうではないことだった。「〈レズビアン〉はそもそも政治化されたアイデンティティだが、異性愛はそうではない。これらの2つの用語は非対称で、概念として同じ空間を共有していない」(Kitzinger and Wilkinson eds 1993: 8)。そのためキジンガーたちの意図は、異性愛カテゴリーの政治化を促進することにあった。

 寄稿者の1人は、役割逆転の感覚を次のように評している––「異性愛者でない人たちから、異性愛の名を引き受けながらものを書くように求められることは、他者として位置づけられる圧力を経験することだ」(Young in Kitzinger and Wilkinson eds 1993: 37)。このような試行錯誤によってフェミニストは、異性愛の再定義をめぐって陥った袋小路から抜けだせるかもしれない。シーガルが述べているように、もし私たちが「女たちのせいの体験に応答できず、その体験は抑圧的な社会秩序の一部であると決めつけて非難するならば、私たちは大多数の女性を勇気づけるどころか、落胆させてしまうだけである」(Segal 1994: xii)。

 もしセクシュアリティを社会的構築物とする見方を採用するならば、異性愛の袋小路を乗り越える方法の1つは、異性愛と同性愛という二分法を破壊して、クィア理論の戯れに満ちた抵抗を採り入れることである。結局、クィア理論が示しているのは、「異性愛が〈不安定〉で、各人の〈異性愛を遂行する〉という行為の絶え間ない反復に依存していて、それが安定性の幻想を生みだしている」ことである(Richardson 2000: 40)。おそらくここで、初期フェミニズムの印象的な言葉をあげて、自己決定のラディカルな可能性を強調しておくのがよいだろう。「自分のセクシュアリティを取り戻すとき、私たちは女性としての自分への信頼を取り戻すだろう。私たち本来の強靭で激しい性質から抑圧が取り除かれたとき、私たちは教化された従順なふるまいをもはや受けつけないだろう。迎合、服従、脆弱さを拒絶するだろう」(Hamblin in Allen et al. eds 1974: 96)。



 
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