2018年01月19日

ヘルマン・ヘッセ「紛失したポケットナイフ」(3)

庭仕事の愉しみ




文庫 庭仕事の愉しみ (草思社文庫)




紛失したポケットナイフ(つづき)


 ある時期が来て、私は頻繁に旅に出た。ボーデン湖畔の美しい家での生活が、私にとってさほど快適ではなくなったからである。私はよく私の庭を放ったらかしにして、まるでどこかに重大なものを置き忘れてそれを探しにでも行くかのように、世界中を旅してまわった。私はスマトラの南東部の最奥地にまで旅をし、ジャングルの中で大きな緑色の蝶がきらめき飛ぶのを見た。

 そして、私が帰って来たとき、妻は、この家と村から出ていきたいという私の意見に同意した。成長期の息子たちにとって学校が必要であり、そのほかにも多くのことが必要なことがわかってきたのである。私たちはそのことについてはいろいろ話し合った。が、私は、ここに留まることに意味がなくなってしまったこと、この家での幸せと満足感について私の夢がいつわりの夢であって、葬り去らねばならないことについては、誰とも話し合わなかった。

 スイスのある美しい町の近郊の、近くに荘厳(そうごん)な雪の山々の見える、非常に古い巨木の木立をもった立派な古い庭園で、私はふたたびなじみの秋と春の焚き火を始めた。そして生きることが私を苦しめたり、この新しい場所でもいろいろなことが非常に難しくなり、狂った調子で響いたりするとき、私はその責任を、あるときはここに、あるときはあそこに、しばしば自分の心の中にも探し求めた。そしてあの頑丈な庭仕事用のナイフを見るたびに、「死は安易すぎる方法で手に入れてはならない、死は英雄的精神をもって獲得せよ、少なくとも自分の手でナイフを心臓に突き刺すべき」という、ゲーテの、感傷的な自殺者に与えるすぐれた指示を考えたが。が、私はゲーテと同じように、それを実行することはできなかった。

 戦争が勃発した。これでもう私は、自分の不満と憂鬱の原因をそれ以上探し求める必要がなくなり、その原因をはっきりと認識し、この憂鬱と不満は決して治癒しえないものであるにせよ、それでもなお、この時代の地獄を生きて耐え抜くことこそが、利己的な憂鬱や失望のひとつのよい治療法であるということを知るまでに、そう長くはかからなかった。

 あのナイフをもうほとんど使わなくなる時期が来た。ほかにしなければならないことがたくさんありすぎた。そしてこうして徐々にすべてのことが落ち目になっていた。まずドイツ帝国が、そしてその戦争が、その戦争を外国から見ることは当時たとえようもないほどの苦痛であった。そしてその戦争が終わったとき、私の生活にもさまざまな転機と変化が生じた。私はもう庭も家ももたず、家族と別離せねばならず、孤独と瞑想の年月を迎えて、それを味わいつくさなければならなかった。

 当時私は、長い長い流刑生活の幾冬に、よく寒い部屋の小さな暖炉の前にすわって、手紙や新聞を燃やし、あの古いナイフで薪をくべる前に意味もなく削ったりしながら、炎を見つめたものであった。そして私の生活と私の名誉心と私の自我のすべてがゆっくりと消失し、清らかな炎になるのを見た。それ以後、自我や、名誉心や、虚栄心や、濁った生活の魔術のすべてが、くりかえしくりかえし私をまきこみはしたものの、どうにかひとつの避難所が見つかり、ひとつの真理が認識された。そして故郷が、私が生涯ついに建設し所有することに成功しなかった故郷が、私自身の心の中に育ちはじめた。

 この長い道のりを私についてきたその庭仕事用のナイフを、私がこんなにも惜しむのは、英雄的でも賢明でもない。けれど、今日はとにかく私は英雄的でも賢明でもありたくない。そのためには、明日また時間がある。(1924年)(pp. 80-82)



posted by R_Partner at 19:20| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。