2016年11月16日

セクシュアリティ、ポルノ論争

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 1982年にニューヨークのバーナード大学で「学者とフェミニスト––セクシュアリティの政治に向けて」という会議が開催されたが、この会議はポルノグラフィの問題で激しく衝突し、最後には崩壊してしまったと伝えられている。そもそもこの会議が開催されたのは、主催者の1人であるキャロル・ヴァンスが、1980年代(とくにアメリカの)中絶法改正や過度の「寛容さ」へのバックラッシュの高まりを感じているからだった。強力な新右翼の台頭とともに、1960年代以降のフェミニズムと急進思想は道徳的退廃に直接の責任があると見なされた。性の実践の「無法者(アウトロー)」たち、つまりゲイ、レズビアン、性的に活発な異性愛女性、10代の若者が新たに非難されたり、エイズはゲイたち(アメリカとヨーロッパでウィルス感染率の高かった最初のグループ)への道徳的応報だと決めつけられたのだ。そしてフェミニストによる大がかりな反ポルノグラフィ運動が、このバックラッシュに加勢することになった。これは多くのフェミニストにとって皮肉な事態だった。「反ポルノ派のフェミニストたちに言わせると、ポルノこそ女たちを抑圧する一番の動力、男たちを社会化する主要因、女性に対する暴力の主要な手先だった」(Vance ed. 1992: xix)。女性のセクシュアリティの探求は、そのためにいっそう困難になった。



 前述のバーナード会議では、ポルノをめぐる論争の際にもう1つ生じたことがあった。フェミニズムの政治的良心として脱性化されたレズビアン・イメージが拒絶され、セックス肯定で検閲反対のレズビアンたちは、性的アイデンティティの多様性のすべてを認めよと主張したのである。対立は必至であり、シーラ・ジェフリーなどのレズビアン・フェミニストは、特定のレズビアン・セクシュリティのモデルに固執した(セックス肯定派のレズビアンからは、これはしばしば「ヴァニラ」レズビアンと呼ばれた)。しかしそのほかのレズビアン・フェミニストは、もしセクシュアリティについて社会構築主義者の見方を採用するならば、レズビアンに真正なセックスがあるという主張はだとうだろうかと疑問を出した。

 ジェフリーズにとって、そうした意見は1994年のThe Lesbian Heresy『異端のレズビアン』の書名が示すように、「異端」にほかならない。同書のなかで、SMや挿入をともなう性行為がレズビアンのなかでますます幅をきかせるようになってきたと述べつつ、ジェフリーズは言う。「新しい世代のレズビアンたちは、ゲイ男性の文化に見られる価値観や実践を喜んで取り入れている。自分もゲイ男性だったらよかったのにと、すすんで認めるレズビアンもいる」(Jeffreys 1994: 143)。


 キャロル・ヴァンスは、「個人的なことは政治的である」とするフェミニストの概念に疑問を投げかけた。「これは、性生活は特別にすべて政治的という意味なのか。もしそうだとすれば、同じ政治を共有するフェミニストはまったく同一か、きわめて似通った性生活を期待され、政治目標と個人のふるまいを合致させるべきであるという論理になるのか」(Vance ed. 1992: 21)。ヴァンスは、セクシュアリティの構築を、家父長制の利益や抑圧とほとんど同一視してしまうのは危険ではないかと強調しようとする。その必要もないのに快楽を押し殺してしまい、ラディカル・フェミニストは潔癖で反快楽主義であるとのカリカチュアに根拠を与えかねない(1990年代には、それはすべてのでミニストへの一般的見解になってしまったが)。

 ジョー・ヴァン=エヴリは、これまでの異性愛の分析に「異性愛関係に含まれるのは性行為だけではないという事実にほとんど言及がなかった」(Van Every in Richardson ed. 1996: 40)ことが問題だったと述べる。キャロル・スマートは、その一例として、性教育では性行為の危険ばかりが強調され、性の快楽は教えられない傾向があると言う。「最近では、教師たちが性教育のなかで快楽と喜びについてオープンに語ったり、若い女性のマスターベーションは、ほかの人とセックスをする前に自分の身体を知る利点があると話し合うなど、考えられなくなった」(Smart in Richardson ed. 1996: 175)。異性交(ヘテロセックス)の定義は粗雑なままで、「制度化」ばかりが注目され、女たち個人が異性交についての制度的言説に規定されつつ、いかにそれらの言説と折衝し、抵抗し、挑戦しているかという説明はなされない。


 シリア・キジンガーとスー・ウィルキンソンは、異性愛についての論集(Kitzinger and Wilkinson eds 1993)で、これらの疑問のいくつかに答えようと試みた。レズビアン・フェミニストとして、ふだん同性愛が周縁で異性愛が中心に配置されている役割をずらし、異性愛の女たちに向かって、セクシュアリティはあなたたちにとって何を意味するのかと問いかけたのである。そこで指摘されたのは、レズビアニズムは女たちにとって政治的アイデンティティになりうるが、異性愛はそうではないことだった。「〈レズビアン〉はそもそも政治化されたアイデンティティだが、異性愛はそうではない。これらの2つの用語は非対称で、概念として同じ空間を共有していない」(Kitzinger and Wilkinson eds 1993: 8)。そのためキジンガーたちの意図は、異性愛カテゴリーの政治化を促進することにあった。

 寄稿者の1人は、役割逆転の感覚を次のように評している––「異性愛者でない人たちから、異性愛の名を引き受けながらものを書くように求められることは、他者として位置づけられる圧力を経験することだ」(Young in Kitzinger and Wilkinson eds 1993: 37)。このような試行錯誤によってフェミニストは、異性愛の再定義をめぐって陥った袋小路から抜けだせるかもしれない。シーガルが述べているように、もし私たちが「女たちのせいの体験に応答できず、その体験は抑圧的な社会秩序の一部であると決めつけて非難するならば、私たちは大多数の女性を勇気づけるどころか、落胆させてしまうだけである」(Segal 1994: xii)。

 もしセクシュアリティを社会的構築物とする見方を採用するならば、異性愛の袋小路を乗り越える方法の1つは、異性愛と同性愛という二分法を破壊して、クィア理論の戯れに満ちた抵抗を採り入れることである。結局、クィア理論が示しているのは、「異性愛が〈不安定〉で、各人の〈異性愛を遂行する〉という行為の絶え間ない反復に依存していて、それが安定性の幻想を生みだしている」ことである(Richardson 2000: 40)。おそらくここで、初期フェミニズムの印象的な言葉をあげて、自己決定のラディカルな可能性を強調しておくのがよいだろう。「自分のセクシュアリティを取り戻すとき、私たちは女性としての自分への信頼を取り戻すだろう。私たち本来の強靭で激しい性質から抑圧が取り除かれたとき、私たちは教化された従順なふるまいをもはや受けつけないだろう。迎合、服従、脆弱さを拒絶するだろう」(Hamblin in Allen et al. eds 1974: 96)。



 
ラベル:フェミニズム
posted by R_Partner at 11:48| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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