2016年10月31日

『争点・フェミニズム』「男という問題」(2)

争点・フェミニズム




 男らしさが社会的に作られたものであるという主張は、男らしさが時代によって、またそれぞれの社会によって異なるものであるという認識へと、ほぼ必然的につながっていく。一般的な男らしさの形態について述べることに意義はあるが、それらは競合しないものではなく、単一的な経験でもないということは現在では広く認識されている。男であることの意味や経験は同性愛者と異性愛者の間で、黒人男性と白人男性の間で、裕福な男性と貧しい男性との間で、そして病気の男性と健康な男性との間では明らかな違いがある(それぞれの集団の成員は流動的なものであり相交わるものもあるが)。そして、それぞれの集団のメンバーの中においても、権力や身体的な強さといった主要な男らしさの属性を得られるかどうかの事情が異なることによって、抑圧を経験しているものもいるだろう。ロバート・コンネルが指摘したように、同性愛の男性に対する抑圧は、軟弱だったり控えめだったりする異性愛の男性に対しても連鎖的に効果を及ぼす。同時に、男らしさについてのもっとも一般的なひとつの理想形というものも存在してこなかった。たとえば、長らく「真の男」とは、積極的な性的略奪者を指すと同時に、女性や他の男性に対して献身的で、保護者的で、「紳士的」な人物を意味する言葉でありつづけてきた。(p. 276)


 今日、フェミニズムによる批判は、急速な社会変化と結びついて、伝統的な想定を崩壊させようとしているために、男らしさについてのひとつの明白なモデルの欠如は、特に顕著である。そのうえ一家の稼ぎ手としての役割と男らしさとの結びつきは、男性の失業や共働き家族、母子家庭などが着実に増加しつつある社会において意味をもたない。異性愛の男性は、怖がる処女たちに性の手ほどきをするべきであるという考え方もまた、若い男たちが性的な自信や知識をもつ強い女性のイメージと対峙せざるをえない社会、またいかなる性的関心の表現もハラスメントや時には強姦として解釈されかねない社会においては、維持することは難しい。結果はジェンダー役割や行動の不明確さという一般的風潮となってあらわれてきた。(中略)

 しかし、肯定できるような方法で変わっていく男性もいる。そして今日の社会は、積極的な父親業や感情表現を含むような男らしさを求めている。その結果として「「男らしさの多様性」が、新たな男性のあり方の受容可能な形として姿をあらわしつつある」。男らしさの多様性は、男性であることが非抑圧的となる可能性を開く。(pp. 276-277)



ラベル:フェミニズム
posted by R_Partner at 15:45| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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