2016年10月31日

『争点・フェミニズム』「男という問題」(1)

争点・フェミニズム




 1970年代初頭のフェミニズム論争を特徴づけたさまざまな理論的出発点は、実際的な経験や、今も続く政治理論上の発展にともなって強化されてきた。今日、「男という問題」について四つの主要な相互連関するテーマを見出すことができる。これは、それぞれの理論的な出発点を声、フェミニズム思想の政治的な差異の広がりを横断し、賛同を得るものである。一つめは、女性が男性という規範によってはかられ、男性の欲求によって社会が組織される状況を変えることが必要であるとの認識の広まりである。二つめに、フェミニズムの中には、女らしさが産出される過程を明らかにしそれを変革することから、男らしさのそれを問題にすることへと移行する動きがある。三つめに、男らしさが社会的につくられたものであるという認識は、フェミニストが女性間の違いを認識しなければならないように、男性間の違いもまた認識しなければならないという見解と関連する。このことは単に「親切な男性」と「性差別的な豚」が存在するとか、男性が階級や人種によって区別されるということを意味するものでもない。しゃかいではどんな時代でも男らしさのモデルが存在しているはずであり、一般的な男らしさモデルが、ある男性たちにとっては抑圧的に感じられるだろうということを意味しているのである。四つめのテーマは、三つめのテーマをふまえて、今度は非抑圧的な男らしさを受け入れ強化する道を開き、ジェンダー化された社会の二元的区分を越えようとすることである。(P. 269-270)


男性の行動こそが変わらねばならないという考えは、北欧の国々で最も進んでおり、1960年代後半以降の平等政策では、男性の家庭内役割を増やすことの必要性が前提とされている。教育プログラムはできるだけ幼い頃からジェンダー・ステレオタイプを疑うように綿密に計画されている。(中略)

 しかし、多くの男性は納得していないようである。スカンジナヴィア諸国においても、家事行動における変化は遅々としたものであったし、男性政治家たちは、家族福祉における平等責任に乗り気ではなかった。このことは、思慮深いパートナーや政治家であっても、自分たち自身が女性が直面している問題の一部であることを認識したがらないという事実を表している。(PP. 271-272)


 1970年代以降、フェミニズムに影響された男たちによって、男であることがどういうことかを問題とすべきであると認識されるようになってきた。そしてこのことによって、男性だけの集団の結成だけでなく、男性による男性自身の性についての学術的な著作が増加した。これらの著作は、社会が男性によって支配されているものであり、男たちは女たちが直面している問題の一部分であるということを認めている。ヴィクトール・サイドラーは、男性のフェミニズム支持者たちにとって、女性の抑圧に焦点をあてることは容易であると言う。なぜなら、虐げられる女性を救う白馬に乗った王子様という男性の原型的な幻想に訴えかけるからである。しかし、ジェンダー間の平等が達成されるのならば、男たちは自分自身にも焦点をあて、新たな行動様式を学ばねばならないと彼は言う。

 サイドラーが所属する男性だけの生活集団では、男たち自身による「気づき」を「カミングアウト」と評する。ジェンダーは、女だけではなく男にもあてはまるというこのような認識は、政治的および社会的行動についての伝統的な理解とは根本的に異なった視野を提供する。男性と一般的な人々を区別することの潜在的な重要性は、犯罪行動や反社会的な行動との関連で明らかになる。「暴徒」「暴力的な未成年」「麻薬常用者」「性犯罪者」「児童虐待者」などについての政治やメディア上での伝統的な議論は、これらが圧倒的に男子や男性であることを隠してきた。しかし、ジェンダーについての認識をもてば、多くの反社会的行動を男性の行動の問題とするだけではなく、反社会的な行動が「正常な男らしさのかたち」と結びつく道筋を明らかにすることが可能となるのである。(PP. 273-274)


 児童への性的虐待についての近年の著作でも、児童虐待を男性の生来の属性や少数の逸脱者の病的な行動としてではなく、男らしさという支配的な形態の所産として理解すべきであると述べる(確かに女性が虐待者となる場合もあるが、たいていがまずは男性による虐待が問題とされるべきであろう)。この観点からすると、問題は「正常な」男らしさにおける暴力の役割であり、男性の性的欲求が、権力と身体的に弱い者や幼い者を欲望の対象とすることを結びつけている点にある。それゆえ私たちは、「正常な」男らしい行動や規範を問題とすることなしに、虐待の問題に取り組むことはできないのである(Hearn, 1988)。


もしキャンベルやシーガルが正しければ、これらの暴力は黒人や労働者階級の文化の所産ではなく、「正常な」男らしさの価値によるものであり、それは女たちの人生機会やさまざまな経験にだけでなく、社会全体に対してもダメージを与えてきたことになる。キャンベルやシーガルは、これらの価値が生物学的男性性にもとづいているとか、男性の反社会的な行動は彼らの遺伝子の避けがたい産物であるとは考えていない。それゆえ課題となるのは男らしさを崩壊させ変革するために、それが構築される複雑な心理的、文化的、社会的過程を明らかにすることである。それらの変革は個々の行動よりもずっと深いレベルのものであり、社会のあらゆる次元における支配関係やジェンダー間のヒエラルキーの変革と深くかかわりあうことになるだろう。(pp. 275)


ラベル:フェミニズム
posted by R_Partner at 15:29| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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