2018年01月22日

三浦しをん『舟を編む』

 読みごたえのある作品。後半のスピード感がよかった。単行本の装幀は、小説の中に出てくる『大航海』の装幀と同じかな?

舟を編む




舟を編む (光文社文庫)




 のしかかるような書棚の圧力を背中に感じつつ、ペンを手にした。一文字一文字、丁寧に白い紙を埋めていく。心を形にするために。(p. 77)


 こんな弱音を吐くなんて、悔しい。なさけない。でも、やっとひとに打ち明けることができた。小石のように硬く肉に食いこんでいた、俺の悔しさなさけなさを。(p. 125)


人間関係がうまくいくか不安で、辞書をちゃんと編纂できるのか不安で、だからこそ必死であがく。言葉ではなかなか伝わらない、通じあえないことに焦れて、だけど結局は、心を映した不器用な言葉を、勇気をもって差しだすほかない。相手が受け止めてくれるよう願って。(p. 185)


 辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった。(p. 203)


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2018年01月20日

又吉直樹『火花』

火花




火花 (文春文庫)





 「漫才はな、一人では出来ひんねん。二人以上じゃないと出来ひんねん。でもな、俺は二人だけでも出来ひんと思ってるねん。もし、世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつ等がやったないこととか、そいつ等の続きとかを俺達は考えてこれらわけやろ? ほんなら、もう共同作業みたいなもんやん。同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。やらんかったらよかったって思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって言うたら絶対そんなことないやん。人組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってないと思うで。だから、一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。ほんで、全ての芸人には、そいつ等を芸人でおらしてくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん」
 僕にとっては相方も、神谷さんも、家族も、後輩もそうだった。真樹さんだってそうだ。かつて自分と関わった全ての人たちが僕を漫才師にしてくれたのだと思う。
 「絶対に全員必要やってん」
 神谷さんは小指でグラスの氷を掻き混ぜていた。(p. 134)




 「神谷さん、あのね、神谷さんはね、何も悪気ないと思います。ずっと一緒にいたから僕はそれを知ってます。神谷さんは、おっさんが巨乳やったら面白いくらいの感覚やったと思うんです。でもね、世の中にはね、性の問題とか社会の中でのジェンダーの問題で悩んでる人が沢山いてはるんです。そういう人が、その状態の神谷さん見たらどう思います?」
 僕は自分の口から出た、真っ当すぎる言葉に自分で驚いた。
 頬に垂れる涙を最早僕は拭わなかった。
 「不愉快な気持ちになる」
 神谷さんも目を真っ赤にして、肩を震わせている。
「そうですよね。神谷さんには一切そんなつもりがなくても、そういう問題を抱えている本人とか、家族とか、友人が存在していることを、僕らは知ってるでしょう。全員、神谷さんみたいな人ばっかりやったら、もしかしたら何の問題もないかもしれません。あるいは、神谷さんが純粋な気持ちで女性になりたいのであれば何の問題もないです。でも、そうじゃないでしょう。そういう人を馬鹿にする変な人がいるってことを僕等は、世間の人達は知ってるんですよ。神谷さんのことを知らない人は神谷さんを、そういう人と思うかもしれませんよ。神谷さんを知る方法が他にないんですから。判断基準の最初に、その行為が来るんやから、神谷さんに悪気がないのはわかってます。でも僕達は世間を完全に無視することはできないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それは、ほとんど面白くないことと同義なんです」(pp. 141-142)


 
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2018年01月19日

ヘルマン・ヘッセ「紛失したポケットナイフ」(3)

庭仕事の愉しみ




文庫 庭仕事の愉しみ (草思社文庫)




紛失したポケットナイフ(つづき)


 ある時期が来て、私は頻繁に旅に出た。ボーデン湖畔の美しい家での生活が、私にとってさほど快適ではなくなったからである。私はよく私の庭を放ったらかしにして、まるでどこかに重大なものを置き忘れてそれを探しにでも行くかのように、世界中を旅してまわった。私はスマトラの南東部の最奥地にまで旅をし、ジャングルの中で大きな緑色の蝶がきらめき飛ぶのを見た。

 そして、私が帰って来たとき、妻は、この家と村から出ていきたいという私の意見に同意した。成長期の息子たちにとって学校が必要であり、そのほかにも多くのことが必要なことがわかってきたのである。私たちはそのことについてはいろいろ話し合った。が、私は、ここに留まることに意味がなくなってしまったこと、この家での幸せと満足感について私の夢がいつわりの夢であって、葬り去らねばならないことについては、誰とも話し合わなかった。

 スイスのある美しい町の近郊の、近くに荘厳(そうごん)な雪の山々の見える、非常に古い巨木の木立をもった立派な古い庭園で、私はふたたびなじみの秋と春の焚き火を始めた。そして生きることが私を苦しめたり、この新しい場所でもいろいろなことが非常に難しくなり、狂った調子で響いたりするとき、私はその責任を、あるときはここに、あるときはあそこに、しばしば自分の心の中にも探し求めた。そしてあの頑丈な庭仕事用のナイフを見るたびに、「死は安易すぎる方法で手に入れてはならない、死は英雄的精神をもって獲得せよ、少なくとも自分の手でナイフを心臓に突き刺すべき」という、ゲーテの、感傷的な自殺者に与えるすぐれた指示を考えたが。が、私はゲーテと同じように、それを実行することはできなかった。

 戦争が勃発した。これでもう私は、自分の不満と憂鬱の原因をそれ以上探し求める必要がなくなり、その原因をはっきりと認識し、この憂鬱と不満は決して治癒しえないものであるにせよ、それでもなお、この時代の地獄を生きて耐え抜くことこそが、利己的な憂鬱や失望のひとつのよい治療法であるということを知るまでに、そう長くはかからなかった。

 あのナイフをもうほとんど使わなくなる時期が来た。ほかにしなければならないことがたくさんありすぎた。そしてこうして徐々にすべてのことが落ち目になっていた。まずドイツ帝国が、そしてその戦争が、その戦争を外国から見ることは当時たとえようもないほどの苦痛であった。そしてその戦争が終わったとき、私の生活にもさまざまな転機と変化が生じた。私はもう庭も家ももたず、家族と別離せねばならず、孤独と瞑想の年月を迎えて、それを味わいつくさなければならなかった。

 当時私は、長い長い流刑生活の幾冬に、よく寒い部屋の小さな暖炉の前にすわって、手紙や新聞を燃やし、あの古いナイフで薪をくべる前に意味もなく削ったりしながら、炎を見つめたものであった。そして私の生活と私の名誉心と私の自我のすべてがゆっくりと消失し、清らかな炎になるのを見た。それ以後、自我や、名誉心や、虚栄心や、濁った生活の魔術のすべてが、くりかえしくりかえし私をまきこみはしたものの、どうにかひとつの避難所が見つかり、ひとつの真理が認識された。そして故郷が、私が生涯ついに建設し所有することに成功しなかった故郷が、私自身の心の中に育ちはじめた。

 この長い道のりを私についてきたその庭仕事用のナイフを、私がこんなにも惜しむのは、英雄的でも賢明でもない。けれど、今日はとにかく私は英雄的でも賢明でもありたくない。そのためには、明日また時間がある。(1924年)(pp. 80-82)



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